松山校舎の今、昔
★昭和44年5月から昭和58年9月までの約14年半、台北日本人学校は、松山区福徳街151巷12号にありました。
★校舎移転の後、学校跡地を同窓生が訪ねました!!あの場所は、今、どうなっているのでしょうか!?
★完成間もない松山校舎。校庭には石ころが目立ち、大王椰子の苗木が植えられています。(昭和44年(1969年))
★裏山(ゴリラ岩などと呼ばれていました)から撮影した松山校舎全景。写真中央の大通りが福徳街です。(昭和44年(1969年))
★その後、福徳街と日本人学校の間には、たくさんのアパートが建てられました。(写真上の給水塔に注目!)(昭和47年(1972年)頃)
★天母校舎への移転の前に、児童生徒の皆さんは、校舎を綺麗にして、お別れの人文字「再見」を作りました。(昭和58年(1983年)10月3日)
→ 校舎移転の様子は、こちらもご覧ください!! https://homepage1.nifty.com/tjs/kaihou/1/yukio_harie.htm
★校舎移転の後、校舎は取り壊され、アパートで埋め尽くされました。給水塔はまだ残っていました。(平成10年(1998年)頃)
★今では、その給水塔も無くなり、遠方に台北101の姿を臨むだけとなってしまいました。。。(平成24年(2012年))
★福徳街151巷から校舎方面を臨む。思ったよりも道幅が狭いですが、当時の面影ははっきりと残っています。(平成24年(2012年))
★台北に行かれることがあれば、是非立ち寄ってみてください♪
【参考図】 松山校舎を訪れる方へ♪
★TJS跡地と給水塔、ゴリラ岩との位置関係です。(Google mapより)(2008年撮影)
★校舎跡地拡大図。校庭のあったところに新しい路(福徳街137巷)ができています。(2008年撮影。Google mapより)